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東葛西(ひがしかさい)は、東京都江戸川区南部にある葛西地域の一地区。 住居表示は東葛西一丁目から東葛西九丁目。
地 域
江戸川放水路から分流した旧江戸川西岸、葛西地域の東部に位置する。 地区域の北端を新川を境に江戸川、西を環七通りを境に中葛西、南を左近川を境に南葛西、西を旧江戸川を境に千葉県浦安市堀江と隣接する。 また東葛西三丁目の16,17番地は旧江戸川上に浮かぶ中州(妙見島)にあり、浦安橋で江戸川区本土・浦安市とそれぞれ結ばれている。
東京湾から1.5kmほどしか離れておらず、他の葛西地区と同様、堤防がなければ水没してしまう海抜ゼロメートル地帯にある。
東葛西の主要鉄道駅は環七通りをまたがる東京メトロ東西線の葛西駅である。東葛西の住宅街としての発展は1969年にこの駅が開業したことでもたらされた。
歴 史
東葛西の北部は、葛西地域の中で最も歴史が古い地区である。太日川の河口に位置し、中世には陸地化していた。
葛西御厨の一部であり、長島として知られていた。御厨とは、有力な神社の荘園の事である。葛西御厨は伊勢神宮の荘園であり、葛西清重が治めていた。葛西氏が衰えると、千葉氏や後北条氏の所領となった。
戦国時代には長島高城があったという説がある[1]。清光寺がその跡と言われている。現在でも一帯は微高地になっている[2]。
この地域は河川交通の要所でもあった。上流には下総国の国府があり、多くの船が行き来した。長島には長島湊(長島の津)があり、葛西御厨や国府の外港の1つとして栄えた。また南北朝時代の1372年(文中元年/応安5年)には、香取神宮の河関(灯油料所)が設けられた[3]。
江戸時代には、南部の開発が進んだ。宇田川定氏が宇喜田を開発。東葛西の南部もその一部であり、元禄時代に東宇喜田村として分かれた。旧江戸川沿いに雷(いかずち)。新田仲町通り沿いに仲町などの集落が出来た[4]。
一方、北部には長島村や桑川村、下今井村が出来た。1629年(寛永6年)、東葛西の北端に新川が開削され、江戸の水運の大動脈となった。
明治時代になると、町村制によって葛西地域の村々は合併し、葛西村となった。昭和時代になると、市郡合併によって江戸川区が誕生。桑川町など一部の旧地名が復活した。
戦後、葛西地域では大規模な開発が進んだ。1969年(昭和44年)、東西線が全線開通し、葛西駅が設けられた。1972年(昭和47年)には葛西沖開発事業が始まった。1978年(昭和53年)以降の住居表示の実施により、東葛西という住所が成立した。
東葛西の南部が脚光を浴びたのは、平成時代に入ってからである。葛西土地区画整理事業[5]や東葛西土地区画整理事業[6]により、放射16号や都市計画道路補助第289号線がようやく開通した。1999年(平成11年)には、イトーヨーカ堂葛西店を含む葛西リバーサイドモールが開店。2004年(平成16年)には、島忠ホームズ葛西店が開店した。2005年(平成17年)には、東葛西図書館が設置された。
今後、補助第289号線は北進する予定である。現在、船堀で工事が行われている[7]。それに伴い東葛西の北部でも、江戸川南部土地区画整理事業[8]が予定されている。
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